親を看取るということ~エンディングノート
桜が咲く時期になると特に思うことがあります。
私は37歳の時、母を亡くしました。
それが4月4日、母は61歳でした。
両親は離婚していて、私が長女だったので、喪主は私が務めました。
まだほんの数年前です。
母は病院に運ばれ亡くなったのですが、悲しんでいられるのは束の間。
亡くなった直後、看護婦さんから言われたのは
「30分だけご家族だけでここで過ごしてください。その後すぐ葬儀屋さんを呼んでください。支度をして病室を出られるように。葬儀屋さんわからなければ紹介もできますので。」という言葉。
ここから、私が今まで体験したことがないことが始まっていきました。
母が死んでしまった事実を、なんとか飲み込んで自分に納得させなければいけなくて、
妹と弟がいたのですが、当時妹は精神的になにも抱えられない状況でした。
弟は年が離れていて、まだ若かったのです。
「長女の私がしっかりしないといけない」
母の最期をしっかり私がやってあげなきゃ誰がやるんだと静かに思ったのを覚えています。
それからあとは、亡くなった病院の後処理、葬儀の手配・段取り、親戚や来てくれた方の対応、法的な手続き、母が最期を過ごした部屋の片付け、遺品整理。。。。。。
そのほか、ここには書ききれないことが山のようにありました。
もう目まぐるしいというか、慌ただしいというか、人が死ぬってこういうことなのかと。
私には、悲しむ暇さえないのかと思いました。
通夜と告別式が終わり、遠いところから来てくれた叔父や叔母たちも帰り、
だんだんと人がいなくなっていった時、急に母がいないことを思い出したかのように泣きました。
気が張っていたんだと思います。
母はつつましい生活をしていましたが、それでも遺品整理には手間も時間もかかりました。
そして一昨年、私は弟も亡くしました。
25歳でした。
私は2度目の喪主を務めました。
まさかの出来事でした。
母の時のように、めまぐるしい日々でした。
ひとりでいると時々、母と弟のことを考えます。
そして最近思うことは、人の運命などわからないという事。
あと50年生きるかもしれないし、明日死ぬかもしれない。
わかっているのは、いつか必ず死ぬという事。
まだそんな年じゃないとか思うかもしれませんが、年齢の問題ではないんです。
けっして他人事ではないのです。
私はその時に、子供たちになるべく私のような大変な思いはさせたくない。
だから、私はエンディングノートを作ろうと思います。
もしも今なにか願いが叶うなら、私は母と弟に逢いたい。ふたりの声が聴きたい。
あの時どう思っていたか、何をしてほしかったか、今となってはわかりません。
亡くなると、悲しんでばかりもいられません。
やらねばならぬ諸手続きが残った人たちに待っています。
その負担を減らすため。
それと、私は子供たちに「私の声」を残したいと思っています。
私は、母と弟の最期の声を聞いてやることはできませんでした。
今でも心残りです。
そんな想いを子供たちにさせないように。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。